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従軍慰安婦問題に思う

 アメリカの議会で旧日本軍の慰安婦問題が取り上げられ、諸議論がまたぞろされているようだ。狭義の定義ではどうの、広義ではどうのと色々と言われるようだが、狭義だとか広義だとか言ってみても仕方がない。そもそも軍隊というものが異常な組織体であるのは間違いがない。そこでは殺人が正当化され、多くの人間を如何に効率よく殺すかが競われ、殺しまくった方が勝ちなどという正義とは相容れない状況が現出するのだ。

 そんな組織体に関する問題であるのだから、そこに正義建てをすることなどとても無理なのだ。我が総理は言い訳がましく強弁しようとしたようだが、世論を慮って弱気の発言に転じたようだ。これは論じても仕方がないこと、もう謝るしか選択肢はないのだ。如何に謝るかそれを考えるしか仕方がない問題だと思うのだ。

 人間は文字の通りヒトとヒトとの関係的な存在です。個人個人では個性があり人格もあります。しかし、これが集団になるとその性格が変わってしまう、そんな存在なのかも知れません。

 レマルクの『西部前線異常なし』の中にでてくるのですが、戦闘が白兵戦になり、ドイツ人の主人公が塹壕に飛び込みます。するとそこに英国兵はいます。主人公は敵兵である英兵を銃剣で刺そうとしますが、彼は重傷を負い息絶え絶えになっていました。ドイツ兵はそれを見て可哀そうになり水を飲ませてやります。英兵が胸のポケットを指さします。そこには家族の写真が入っていました。ドイツ兵がそれを取り出し、英兵が息を引き取るまで写真を見せてあげたのでした。敵も自分と同じヒトなのだ、そう気づいた途端に敵という感情がなくなるのです。

 ヒトは本来優しいものなのでしょう。それが人々という集団になると変質するのです。軍隊という集団はヒトとは違います。従軍慰安婦の問題もそれが原因です。狭義であろうと広義であろうとヒトの人格を無視した行為がなされたことは事実です。それを認識すべきであり、ヒト本来に戻ってこの問題に対応しなければならないのではないでしょうか。

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