大変御無沙汰
随分御無沙汰したものだ。IDもパスワードも忘れてこれの再設定で
随分苦労した。後輩たちがブログを始めたので、重い腰を上げて
再チャレンジすることにした。
休んでいる間に世の中は変わってしまった。ゼロからの出直しだ。
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随分苦労した。後輩たちがブログを始めたので、重い腰を上げて
再チャレンジすることにした。
休んでいる間に世の中は変わってしまった。ゼロからの出直しだ。
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かなりの期間ブログを書かなかった。パソコンに振り回されて多忙だったせいもあるが、自分の望みと現実との乖離が大きくて、少し鬱の気持ちが強くて気分が乗らなかったからだ。政治や経済に興味を持っていて、それらをテーマにしていたのだが、現実は期待に反した方向へどんどん流れてゆく、そんな気分なのだ。真実、裏が読めないのでそれがつかめない。本当にマスコミが報じることが全てなのか、それだと由々しき事態だと思えるのだ。
パソコンの話だとこれは私には趣味の世界なので、気楽に取り上げて論じることもできる。少し前、衝動買い的に新しいノートパソコンを購入した。新しいOSはVistaと違って起動も早く、キビキビ動くとの評判で、その気になって購入してみたが、起動はVistaの入ったパソコンのほうが早い。まあ、同じパソコンで比較しなければ意味はないが、それにしてもハイスペックの新パソコンのほうが起動は遅い。起動後の動きはキビキビしているので評判通りのようだが、起動時間はハードやソフトがヘビーになって遅いのだろう。
ところで、パソコンは気難しいところが多々あるものだ。泣かされたのがバックアップソフトで、バックアップファイルのベリファイがうまくゆかないのだ。どうしてそうなるのか、ソフトのメーカーに問い合わせてもお手上げの状況だ。もう何度も購入時の状態に戻して、チャレンジするのだが思うに任せぬ結果しか得られない。諦めれば済むものを、諦めきらずに苦労する、そんな気難しいのがパソコンという機械だ。ああ、今日もまた時間を無駄にしてしまった。
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自民党の河野太郎さんは面白いことを言う。「鳩山母を証人喚問してどうなる。予算委員会に求められるのはそんな問題ではないだろう。」と。自民党は先の選挙で大敗した。だが、未だにその意味を深く考察し、再生に繋げようとする人達は少ないようである。与党ボケと言うか、与党時代に野党を批判することばかりで、国民に夢と希望を与えることを怠った、それが未だに分からないようで、同じ手法しか取れていない。だから内閣支持率は下がっても、自民党の支持率が上向かない原因なのだ。
人間は人の批判ばかりしていても、その人を超えることはできないと知恵の書である聖書はちゃんと記述している。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きによって裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。」(マタイによる福音書)
欠点を指摘する前に自分自身を振り返らなければならない。相手を非難する前に自分自身を明らかにし、反省に立って再生を誓わなければならない。それを怠っているのが今の自民党だ。だから国民から期待されることはないだろう。
日本人は昔から「人の振り見て我が振り直せ」と、その点は良く理解してきた。だが、そんな美点は今はない。我は常に正しく、相手は常に間違っている、と思って行動する。人間は誰しも美点ばかりではない、欠点も同じく備えているのだ。その欠点を自覚し、反省しながら素直に直す、それが必要な指針であるべきだ。
「自民党の悪しき体質を引きずってきた人をもう一度ベンチに入れるべきではない。」河野太郎の語る通りだ。それ以外に再生の道はないだろう。
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新聞を見ても景気の話ばかりである。年金生活者には景気のことなど余り実感を感じないものだ。でも、景気が上向かないと日本の財政運営は大変で、おちおち病気にも罹れないのも事実だ。保険制度が制度疲労を起こし、国民皆保険といえども、赤字が続くと保険料も上がって負担が大変だ。
曽野綾子さんがだいぶ前に書かれてエッセイに、「甘くない予測をできる、ということは、動物にはない、人間だけに許された能力である。現在を信じないことだ。今はじっとしていると、必ず景気は回復する、と私は思っている。しかし即効薬などあるわけがない。」と書かれていた。確かにお金をばらまいてみたところで、一時的にGDPを押し上げることはあっても”景気”がよくなったと言えるものでもない。”景気”とは摩訶不思議なもので、人為的に左右することは出来ないようにも思える。
新約聖書の「ルカによる福音書」にこんな話が載っている。
「イエスはまた群集にも言われた。『あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、「にわか雨になる」と言う。実際そのとおりになる。また、南風が吹いているのを見ると、「暑くなる」と言う。事実そうなる。偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることを知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。』」
景気は時代、時の状況、即ち、人心の時代性によるのではないのだろうか。人が意識的にする行為で良くなったり、悪くなったりするのではなく、無意識に時代性に沿ってする行為の結果なのではなかろうか。だから、人間が時代性を見抜き、考え方を変えない限り、回復するものではないのかもしれない。曽野さんは言うように、じっと我慢し、人心が変わるのを待つ、それしか出来ないのかもしれない。聖書にある”時”とは人心、それは意識を超えた人間の心、それなのかも知れない。
時を見分けるリーダーが現れる、それしか景気回復の方策はないのだろう。
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経済学とはそもそも人間が豊かにそして幸せになる為のものであったはずである。ところが現実はどうだろう、経済学は怪獣となって人間を幸せにするどころか、食い殺しているのが現実ではなかろうか。元日の新聞には示唆に富む記事を幾つか目にすることができた。
一昨年来、世界経済は変調を来たし、一部には回復の兆しは見えはするが本質的には問題は解決していないのではなかろうか。危機を起こした原因そのものには改善の手は打たれていないし、単に応急処置をして問題を先送りにしているだけではないだろうか。アメリカをはじめ各国とも財政の大盤振る舞いをやっただけであり、基本問題を解決しようとの声は危機の初期には叫ばれたが、具体化することは今に至ってもないように思われる。このままでは又次なるバブルで苦しむことになるのではなかろうか。
大学教授の浜矩子さんが「賃金という人の値段をたたき買いして、安売りが実現している。企業がわが身を削り、賃金を削るプロセスが極限まで行けば、最終的に人の命さえ削るということになりかねない。」とある対談の中で述べられているが、まさに日本ではそんな局面に遭遇している。デフレは消費者に好都合に映る半面、マクロ的には大変な事態だろ言わなければならない。日本のGDPが中国に抜かれたといわれるが、人口規模が10倍違うのだから、当然抜かれてしまうだろう。中国の労働者の賃金水準と日本のそれとは自ずから違うので、同じことをしていれば日本人は生活できなくなる。日本は自ずと異なった仕組みを考えなければ立ち行かなくなるだろう。
高度成長期にうまく機能した政官もたれあいの利益誘導政策も、低成長では機能しなくなった。それを打破するために生まれた「官から民へ」のスローガンで登場した小泉首相が為したのが市場競争原理主義だった。だがこの劇薬は地方の疲弊、著しい経済格差を生んで国民の失望につながった。
昨年の歴史的な政権交代で登場した鳩山内閣、首相の語る「人間のための経済」に期待がかかる。思うようにはなかなか進まぬが、経験に学ぶのではなく、歴史に学んで改革を成し遂げてもらいたいものだ。色々批判はある。だがここで諦めてはならない。これからの10年、それは日本人が生き残れる手段を確立するに与えられた時間である。引き返してはならない。勇気を持って前人未踏の地を進もうではないか。
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皆様明けましておめでとうございます。と言ったところで、今日はちょっぴり不満を年初から書いてしまった。
郵便局の生い立ちは親書を効率的に先方へ届ける業務にあったのではないかと思う。それがどうしたことか、数軒先に移転して住所が変わっただけで、宛先不明の郵便物として返送されてきたのだ。
当市の住所は大多数は町名に●番ー△号の番地が振られている。今年出した年賀状で、元旦当日配達されるには12月25日までに投函して欲しいとあったのでその通りにした。ところが2通ほど12月内に宛先不明郵便として返送されてきた。転勤でもして通知漏れになってしまったのかなと諦めていたのだが、今日年賀状が配達され、宛先の住人が数軒先、●番までは同じだが、△号の数字が若干変わっていた。それが故に宛先不明になったのだ。その通知には印鑑が2個押されていた。想像するにこの印鑑は機械的に押されただけ、何も意味を持たないのだろう。郵便物の仕分けシステムは知らないが、配達担当は決まっているはずだ。少し配慮すれ届く範囲内に転居しただけなのだ。そんな小さな変更も反映されない仕分けシステムなのだろうか。手段と目的がいつの間にやら手段が目的化することがよく起こる。郵便局内で今そんな事象が起こっているのではないかと心配になるのだ。
私は仕方なく判明した数軒先の新住所あてに年賀状を封書に入れて再投函した。一通80円の出費増であった。郵便局の局内のことは私にはわからない。しかし数軒先に転居しただけで親書が届かないなんてことは避けうる手法があるはずである。郵政民営化で揺れた郵便事業、従事者のモラルが低下し、信頼度を失ったのであれば喜劇である。
些細なことかもしれないが、日本人の心の劣化が心配である。スーパーコンピュータに関して世界一位でなく世界二位ではだめなのか、と「仕事仕分け人」の発言があったが、一位と二位は程度の差に止まらず本質的な「質」の差になるのである。すべからく「一位」を目指さなければ人心は劣化する、それは目標を見失うことに起因する。それを心得ておくことが必要なのではあるまいか。
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2009年は小雪が舞う大晦日になりました。パソコンを始めた年は丁度10年前1999年で、大晦日はコンピュータのミレニアム問題が大きな話題になっていました。ミレニアム問題は皆さんの努力もあって、大きな問題も起こらずに無事2000年を迎えることができました。
今年は後世どのように語られるでしょうか、恐らく大きな変化が起こった年として、いや、変化の萌芽が見られた年として語られるでしょう。アメリカでは年初に予想だにされなかった黒人の大統領が就任し、核兵器廃絶を始め、従来の行き方を方向転換する「チェンジ」が語られました。日本でも歴史的な出来事がありました。政治史上本格的な「政権交代」が起こったのです。一種の「無血革命」と評してもよいのではないでしょうか。
その日から100日が過ぎましたが、問題山積、期待した成果は未だ目に見えません。社会の変革を平和裏に行おうとすると、既得権益者の抵抗が大きいために、なかなか思うようには進まないものです。それをもって、否定的に物事を考えるのか、それとも肯定的に辛抱強く見守るのか、そこは非常に大切なことだろうと思います。同じ状況を見ても、ものは考えよう、「コップの水はもう半分しかない」とする悲観論、「コップの水はまだ半分もあるではないか」とする楽観論です。
変革が必要なことには万人が賛成するでしょう。年々進む過疎化、当地でも小学校の廃校が次々に為され、人口は毎年減少してゆき、落ち葉マークの車ばかりが目立っています。市民病院は救急病院としての機能を失い、安心に暗い影を投げかけています。ワンコインショップは繁栄していますが、置いてある商品には国産のものはほとんどありません。家電は日本製が当たり前だったのが、今ではわざわざ「日本製」と表示されているいる状態で、国内から工場が消えていってるのは明らかです。こうした社会情勢を見たとき、従来型の政策では破たんが明らかなことでしょう。
世界の人々70億人が等しく豊かになれるとは思われません。我々にできることはこれ以上の欲望の拡大を放棄し、他人を思い遣る心を育てることではないでしょうか。日本は豊かな国です。政治・行政の変革を行い、豊かさを分け合うことにも配慮する施策を進め、世界の人々の平和を願い、貢献する行動をとることだと思うのです。
小雪の舞う大晦日を迎えると、「地球温暖化は本当に怒ってるの?」と思ったりもしますが、地球規模の気象変動は明らかなようです。発芽した「改革の芽」を大切に育ててゆこうではありませんか。欲望の暴発は人類を破滅の淵に投げ込む愚行です。
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この所新聞を眺めると民主党政権への批判記事に溢れている。もう辞めろと言わんばかりの状況ではないか。我々は何をもって100日前に新政権を誕生させたのだろう。我々は世界の転換期に際して、戦後続いた自民党政権では乗り切れないと判断し、決断を下して新政権を選んだのではあるまいか。でも100日やそこらで日本の進むべき道を指し示す、そんなことが簡単にできるだろうか。自分のことを考えてみれば分かるはずである。自分の人生設計を100日やそこらで決定し、目標に向かった全力疾走できる人がいるだろうか。
新しいことは思うようには行かないことを理系人間の私にはよくわかる。こうあるはずだ、と思ってやってみてもなかなかそうならない。試行錯誤の連続である。でも、目標を見失うことはない。民主党もそうあって欲しい。「コンクリートから人へ」の理念を見失っては民主党の存在意義はないからである。立派な建物、立派な道路、立派な港湾、立派な飛行場、コンクリートに例えられる建造物は確かにそろってきた。だが、年間自殺者3万人、3時間待ちの1分医療、家なき人の群れ、退廃する人心、人に関する環境は悪化こそすれ、後退の連続である。この方向を逆転させようとするのだから、簡単にはできないことは分かり切ったことではないか。
新聞は首相の弱点をこれでもか、これでもかと毎日書き立て、自分は持たないのに決断力がないとか、理念がないとか書きまくっている。世論を誘導し、誘導した世論に沿う設問をして世論調査と称して支持率急落と書き立てる。自作自演の世論調査である。
慌てることはない。世界の現状と日本の状況を判断し、日本の向かうべき道筋を決めて欲しい。又、外交関係には忍耐が必要である。日露戦争に当たって日本人が外交に知恵の限りをつくしたのは素晴らしい先人たちの行動ではなかったか。少子高齢化、前人未到の断崖である。この困難を国民に苦労はあっても乗り越え、克服する道を示してほしい。間違いは正直に認め、変わるべき手段を提示して欲しい。艱難は忍耐を生み、忍耐は練達を生む。その先に私たちは希望を見、絶望に至ることはない。
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先週一週間の日経系のメールマガジンの記事を読んでいると、民主党に対する総攻撃を開始した化石化オピニオンリーダー達の感が非常に強い。
田原総一郎 「野党」意識が抜けない民主党
大前研一 「足し算の民主党」では経済は立ち直らない
猪瀬直樹 赤松大臣、ご理解いただけますか
花岡信昭 民主党にしのびよる「ファシズム」の影
財部誠一 民主党「内需」優先主義の奇妙さ危うさ
まだまだオンラインで読める民主党攻撃の記事は花盛りである。国民は変化を期待し、少し痛みがあっても其れを忍んでも将来を考えて政権の交代を期待した。だから当然良いことずくめに即なれるとは思ってもいないのだ。自民党に将来を委ねられない、そう決心したのであって、甘い汁を即欲したのではないはずだ。
森田実など今まで自民党嫌いで小沢支持かと思っていたら、自民党の国会対策委員長の提灯持ち記事を書いたりしている。まあ、日本のオピニオンリーダーなんてこの程度のものだろう。自民党が化石化したようにオピニオンリーダー達も化石化している。其れに比べるとポール・クルーグマンなどは立派なものだ。芯がぶれないのだ。
国民は共存できる社会を期待している。パイはもう大きくすることは困難だろう。地球規模の気象変動を見ていると、自然をこれ以上破壊し、傷つけ続ければ人類は破滅の淵に立たされるだろうと感じている。少子高齢化社会は”分かち合いの精神”で、苦痛をも分かち合わなければならないのだ。自分さえよければは通用しない。
今必要なのは価値観の変更である。人間は放っておいたらエゴイストになる。人間に与えられた才能は”英知”である。この才能を生かし、限りある稀有な地球という星を大切にすることとは何なのか、どうすればよいのか、それを考えなければならない時代が来ているのである。そして我々の日本を。
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Windows Vistaが不評だったのでその改良版としてWindows 7が発売された。関係者は少しでも売り上げを伸ばそうと話題つくりに懸命だったようだ。私も踊らされて発売記念優待パッケジなるものを予約した。パッケージがVistaに比較するとちゃちっぽく、安物然としているのには失望した。入れ物ぐらいおごれよな、と言いたいがエコロジーを考えればこれで良しとするか、まあ、32ビット版と64ビット版が二枚入っているのはおまけ的な感じだ。
早速使ってみようと、インストールに取り掛かったのだが、メールの処置が大変で、自動的に既存のメーラーを読み込むとあったが、メッセージはうまく読み込まれたが、アドレス帳がうまく読み込まれず、首っ引きで古いメーラーのアドレス帳から名前を探し出すのに苦労した。なんで今更メーラーを省略したのかわからない。慣れたメーラーと顔が変わると慣れるまでが大変だ。Windows Live メールは無料で誰でも使えるのはいいのだが、もう少し簡単に乗り移れればと思ってしまった。
本体はVistaに慣れていてもフォルダの処理法が変わってこれも簡単ではない。立ち上がり時間も変わらず、シャットダウンだけは速くなった。でもウインドウの閉じ方がぎこちない動きをし、Vistaのスムースな動きに慣れた目にはぎこちない。Vistaは重いとか何とか言われていたが、機器の進歩はそれを克服してしまったのが実感だ。
地デジチューナーは動かない、ホームページビルダーも動かない、バックアップソフトも一年前のバージョンは対応しない、デフラグソフトも同じく一年前のものはサポートなし。どうもこの世界の人は「もったいない」精神に欠け、庶民に金を使わせるために、バージョンアップをやっているように思われる。
一般の個人はWindowsはXPで十分だ。アプリケーションも盛りだくさんの機能は使いきれない。もうこの辺で、パソコンの世界も二極化を推し進めるべきだろう。一般の人は無用な機能のないシンプルなパソコンでOKだ。専門家だけ、見返りがあるのだからお金を払って先端のものを求めればよい。
Windows 7は私には用はないと思ってしまった。OSに払うお金もさることながら、アプリケーションも無理やり買わされえらい出費を強いられる。「もったいない」精神で使える機械があればよい。それでなくても地球はゴミだらけになっているのだから。
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